後退か前進か | マニフェストを提案する弘前市民の会

後退か前進か

下田、相馬両氏との協議が終了し、記者発表をした翌日、東奥日報の記事に「市政刷新を訴えている陣営の幹部」という方のコメントが最後に載っていた。「後戻りできる時期ではないだろう」。

これに対して反論したい。反論してどうなるものではないが、とても気になる言い回しであった。まず第一に、候補の一本化は何のために行うかである。それは金澤氏に対し、こちらの勝利を確実なものとするためにである。ひいては市政刷新を実現するためだ。それのどこが「後戻り」なのだろうか。どう考えても前に進むために一本化するのである。

金澤氏に対し、対抗して立候補する候補者が増えれば増えるほど、磐石な組織力を背景にした金澤氏は有利である。そして市政刷新を訴える方はと言えばちっとも前には進めない。実は市政刷新という目標からはどんどん後退していくばかりだ。

だからこそ、三本の矢を一つにたばねて、共通目標とするところの市政の刷新を目指し、勝利に近づくために一本化をしようと、そういうことでなくてはならないと思うのだ。なぜそれが「後退」になるのだろう。

例えば100人規模の登山隊を編成したとするが、それでも頂上を目指すのはほんの数人に過ぎない。残りの人々はほんの数人に登頂を成功させるために、ベースキャンプを維持したり、食糧の確保に奔走したりする。皆で成功を分かち合うために協力し合うわけである。誰だって本当は自分が頂上に立ちたいはずなのだ。

頂上に立つ人間がたった一人であるのが選挙である。数人が同じ目標を掲げて頂上を目指すとき、もっとも成功の可能性が高い方法をとるという選択はけして「後退」などではないはずである。それを「後退」と考える陣営があるとすれば、それは市政刷新という目的が建前でしかないことの証左である。