【拝啓金澤市長】弥生問題に対するご都合主義的反論を斬る | マニフェストを提案する弘前市民の会

【拝啓金澤市長】弥生問題に対するご都合主義的反論を斬る

たまたま金澤たかし後援会連合会が編纂した『岩木山弥生地区の施設整備について』というパンフレットを入手した。これは何かというと、市民団体や報道サイドが指摘してきた弥生・自然体験型拠点施設整備事業の問題点に対する反論を意図したものだ。せっかくだから、ここでちくちくと再反論してみたい。

1.整備事業の計画自体は昭和46年当初からの弘前市総合計画に基づいたもの

笑止である。昭和46年といえば、高度成長期の終わり頃にあたり、日本中が列島改造ブームで沸いていた頃である。そしてその2年後の昭和48年、最初のオイルショックが日本を襲った。要するに、バブリーな時代に構想された計画を、この依然として景気低迷状態にある弘前市において、再び計画遂行しようというのが金澤市政の発想である。これでは反論になっておらず、「高度成長時代から頭の構造が変わっていない」ということでしかない。しかも合併されるはるか昔に計画したものを、合併後のこのときに実施するというのもおかしい。なぜなら現在相馬・岩木に類似施設があるからである。

2.土地の売買契約は正式な手続きを経ており、第三セクター救済のための事業ではない

ホンネはどうであれ、建前上そうでなくては当然都合が悪いだろう。こちらが批判するのは、「実質的に救済のための事業になっている」と指摘しているのである。土地取引の段階で、跡地の土地、工作物の評価額を5億9千万円とした算定根拠が妥当であるとは到底言いがたい。本来なら工作物を撤去し更地で購入すべきものを、なぜ解体費用をかけてまでわざわざいらない工作物まで算定して売買対象としたのか。常識では考えられないほどの高額な価格で売買契約を交わしたことにつて、市側はまともに説明ができず、適正だ違法性はないと繰り返すばかりである。当然ながらドロボウに対して「お前盗んだろう」と言った所でドロボウは「いえいえ、お代官様とんでもない」と言うだろう。それと同じことである。

後援会が作成したパンフレットにはいかにこの事業が適正な手続きを経て、その施設の目的が正当なものかを縷々説明している。このあたりをもう少し突っ込んで再反論したい。

●市議会での議論、議決を経ている

市議会で議決したからどうだと言うのだろうか。市長べったりの議員が多数を占める議会で、お手盛りで議決しただけである。何より金澤市長は反対を表明する市民の意見を一切聞かず、まともな説明もしない。最後には「道理のわからない方と話しても無駄」と会おうともしない。市民と直接対話しようとせず、自分の都合に合わせて議決してくれるイエスマン議員に囲まれて決定したからと言って、市民の側は「はいそうですか」と納得してくれるはずがないのだ。市長は市民によって直接選ばれるのであるから、議会に対して以上に市民に対して説得し納得してもらう責任がある。この当たり前のことがわからないのでは金澤市長に「道理」を口にする資格などない。

●自然体験は心豊かな人間を育む、自然との共生に資するもの

自然との共生とは、自然をあるがままに受け入れることであって、都合よく作りかえることではない。果樹園や農業体験というのは、「自然」とは違う人工的な環境を作るということである。自然のままの植生を伐採して更地にし、体験用の農地や果樹を植えなおすことのどこが「共生」と言うのだろうか。日本語の使い方がそもそも間違っている。何より、相馬や岩木にも自然体験可能な施設は存在しており、それを活用すれば、何も自然を破壊してまで自然体験型拠点施設を新設する必要などないのだ。自然と共生しようと考えるなら、過剰な開発行為はせずに、今ある既存の施設を活用することが本来考えるべきことである。この自然体験型拠点施設整備というのは、むしろ子供達への教育によろしくないと考える。自然を破壊して自然モドキを作ってそれを体験させられる子供達の身にもなってみたらどうだろうか。

●今後の整備については弘前市民と協議会を立ち上げ検討を進める

これは全くの欺瞞である。これまで一度として市民と対話しながら進めようなどとしてこなかったのが、選挙前にいきなりこうしたことを言い出す。その意思があるのなら、計画段階からそうするべきだろう。既に農地転用の手続きも終わり、土地の売買も成立し、450万円もかけてコンサルティング会社に整備計画案を作成した。この期に及んで協議会とは、一体何を話し合うつもりだろうか。

本気でそれをやるのであれば、現在の計画を撤回して白紙に戻すのがスジである。事業の遂行ありきで何が協議会だろうか。市民をバカにするにも程がある。ことほど左様に、金澤氏の市民感覚というのはこの程度のものであって、これは甚だ幼稚であるといわざるをえない。