【拝啓金沢市長】金沢候補の「三位一体論」 | マニフェストを提案する弘前市民の会

【拝啓金沢市長】金沢候補の「三位一体論」

4月10日付けの東奥日報夕刊に、弘前市長選に出馬している四候補の第一声が要約されて掲載された。この中で、金沢候補の発言の中に「三位一体」という見慣れた言葉が飛び出した。記事の該当箇所は以下の通り。

「大変厳しい三位一体改革を、政府と一緒になって、乗り切っていかなければならない。すでに財政、人事、定数に関し、スリム化の計画を立てており、何年かかけて5%以上の人員削減をすることにしている」

地方自治に多少の知識がある人なら、この発言がどこかおかしいことに気がつくはずである。平成12年4月、「地方分権一括法」が施行された。これに伴い、国と地方公共団体は対等であるとされ、新しい協力関係が生み出されたのである。金沢氏の発想は、政府の進める三位一体改革に、弘前市も従わなくてはならないという、従来型の国と地方との関係の上に立ったものである。

各地で『自治基本条例』が制定されだしているのはなぜか。地方公共団体が国の制約から離れて自ら自立した行政制度を整えようとするからである。そうした傾向を生み出したそもそもの根拠法令が「地方分権一括法」なのだ。金沢氏の考え方は、その法律が施行される以前の古臭いものだ。

金沢氏が大きな勘違いをしている点がもう一つある。「三位一体改革」は小泉内閣の代名詞的な政策骨子であり、それゆえに金沢氏としては、その中身をよく理解せずに、それによって小泉人気があると考えたのだろう。三位一体改革への協力を主張すれば自分も「改革派」の一員になれると。

それは実に甘い考えである。三位一体改革を期待をもって支持するのは大都市圏の有権者に多く、地方都市弘前市にあっては逆なのだ。むしろ三位一体改革によって、「勝ち組、負け組」の二極化によって、自分の生活がどうなるかを心配する有権者層の方が多いのである。それがわからないのは、金沢氏がこれまでいかに市民の実情に鈍感であったのかの証左に他ならない。

また、三位一体改革は地方公共団体にあっては交付金の削減という意味を持っているのであり、それに喜んで協力しますという市長は珍しい。そんなことだから、青森市や八戸市が増額されたにも関わらず弘前市は減額されるのである。

政府の方針がどうであれ、住民自治を基本原理とする地方自治にあっては、住民生活を守り抜くため、首長は時には政府に対してNOを言わなくてはならない場合があるのだ。地方ごとに実情が異なり、政府が全国一律で進めようとする施策が必ずしも全てに有効というわけではない。こんな基本的なこともわからないで、よく14年間も市長をやってこれたものである。

最も象徴的な事例で話そう。乳幼児医療給付制度の削減がそれだ。行政のスリム化という建前論の陰で、青森県が削減したから弘前市もやるのだとばかりに市議会で議決してしまった。一方、合併相手の相馬村や岩木町は県の補助が削減されてもなお独自財源から補填し給付水準を下げないことを選択した。相馬も岩木も少子化は大きな問題であり、弘前市もその点では同じなのだが、弘前市だけはあっさり削減を決めたのである。そして合併後は弘前市のやり方に統一するのだと言う。要するに金沢市政には弱者に対する配慮が存在していない。国や県の方針に唯々諾々と従うだけならば、市長も、議会も必要ないではないか。

人員削減の5%というのも、所詮は退職による自然減に対し、新規採用の抑制で対応するということでしかない。これは何を意味するかと言えば、若年雇用を市自ら抑制するということなのである。人員削減とはそのまま雇用の削減と考えてもいい。退職者補充の抑制は慎重な判断が必要であり、それは機構設計と無縁ではありえない。必要なところに必要な人員を確保した上で、業務内容の無駄を見直し、再配置計画をきちんと立て、場合によっては早期退職を奨励するなどの綿密な計画が必要なのだ。そうしなければ、特定世代が極端に減ってしまうという悪影響を生む。当分の間数少ない若年市職員に回ってくるのはコピー取りなどの下っ端仕事だけであり、モチベーションの低下を大きく受ける。

どうだろうか。金沢的発想がいかに時代おくれであるかがわかるだろう。それを彼は経験と実績だと誇っているのである。合併後の新しい弘前市の市長に必要な発想とは、柔軟で過去の前例にとらわれず、しがらみなく事業を遂行できる当たり前の経営感覚であり、そして市民の目線に立ち、市民の悩み、不安を理解できる当たり前の市民感覚なのである。それをきちんと持っているからこそ、私たちは下田はじめ候補の支援を決定したのだ。

下田はじめ候補が持っているのは、長年の馴れ合いの中でしか行政を執行してこなかった金沢氏には、逆立ちしても持ち得ない能力なのである。そして、その能力こそが、新しい弘前市を創る上でとても重要なのである。