金沢候補の街頭演説を聞いて | マニフェストを提案する弘前市民の会

金沢候補の街頭演説を聞いて

今日、土手町中三前でしばらく金沢陣営の街頭演説を聞いていた。しかしなかなか金沢さんの番が回ってこない。挨拶する人が沢山いるのだが、聞いている人と言うと胸に議員バッヂをつけている人が多かった。木村太郎衆議院議員、山崎力参議院議員もいる。

しかし、挨拶で一番驚いたのは山崎議員の言葉だった。交付金が弘前市が減額されたことについて、彼はこう言った。「合併すれば減額されるのは当たり前」なんだそうだ。そもそも交付金を減らすことが目的で合併してるんだから、ということなのだろう。

しかし、合併する自治体には、合併しなかった場合にもらえるだろう交付金がそのまま5年間継続する合併算定替の特例措置があるので、いきなり減らされるわけではない。山崎議員の話の通りであれば、同じく合併した青森市、八戸市も弘前市と同様に減額されていなくてはおかしい。なぜ弘前市だけ減らされたのか。

山崎議員に言わせれば「合併が遅かったから」だと言う。確かに弘前市の合併は2月27日と遅かったが、特例法の期限延長の経過措置を活用し合併したため、条件は青森市や八戸市と変わらない。山崎議員は何か勘違いをしている。というより合併特例法の中身がよくわかっていないのではないだろうか。

青森・八戸の交付金が増額され、弘前市が減った理由として考えられるのは、青森市が中核市、八戸市が特例市となるだけの規模を持った合併だったからである。すなわち、12市町村合併が破綻し、三市町村合併となったために、スケールメリットを活かすという前回市長選での金澤氏の公約が果たせなかったことに理由があるのだ。

また、山崎議員は合併特例債に触れてこうも言った。「特例債の使い道を決めるのは市長」だと。違うだろう。そのうちの3割は市民の税金で償還するべき借金である。当然ながら市民の考え、意見を取り入れ、有効に活用するのでなくてはならない。204億円使えるからと、市長の専権事項で全て使えるというものではない。実は山崎議員の話を聞くのは今回が初めてなのだが、とんでもなく無知な人物であるらしいことは理解した。

このような取り巻きの応援演説のあと、金沢市長の番がようやくやってきた。…誰に語っているのかわからない内容である。相変わらず議会答弁のような内容で、自分がどういう事業を行ってきたか、これからどんな事業をやっていくかの「説明」に終始している。説明責任を果たすというのは、自慢話を延々続けるということではない。これで有権者の支持を得られると考えているのだとしたら、全く勘違いも甚だしい。要するに目の前にいる市会議員にしか金沢氏の関心は向いていないのである。広く市民に呼びかける内容とは到底思えない。それだけ、市民感覚から遠いところで行政をやってきた証左であると思う。

ところで、金澤氏はこうも述べた「名鏡欄の投書どおりに市政はできない」確かこんな内容だったと思う。というか、なんでまたそんな当たり前の話をわざわざするのかと思ったら、どうやら東奥日報の名鏡欄によく投書している金沢批判者に対する皮肉らしいのだ。その中には私や岩木山を考える会の三浦事務局長も含まれるのだろうと思うが、何とも大人気ない話である。

名鏡欄に投書した通りに市政を執行できる、実績が作れるとしたら、私たちとしては非常に喜ばしいことだ。少なくとも市長が私たち市民の言葉に耳を傾けてくれているということだからだ。当然ながら、市長に耳を傾ける気が全くなければ、いくら様々な提言をしようと無意味である。金沢氏はこの発言で「自分は聞く耳を持っていない人間である」と堂々と宣言したに等しい。

応援演説に立った金沢氏の古くからの友人、康安外科医院の鳴海氏によると、金沢氏は若い頃から論語などからいろいろと学んだらしい。その金沢氏には釈迦に説法であろうが、こんな言葉がある。

「吾十有五にして学を志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲するところに従って、矩を踰えず」

金沢さん、あなたは七十にして未だに「耳従う」ことがないのでは、論語を学んだ甲斐がないというものではないのか。私の見るところ、あなたが学んだ孔子の言葉とはすなわちこれである。

「民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず」


人々に説明し、説得し、理解を得るのは極めて難しいことである。しかしそれをすることが為政者としての責任であり、市民の多くが求めているのもその点であるということを、知るべきである。私たちは多くを望んでいるわけではない。私たちが理解できるよう説明を尽くす努力をして欲しい、私たちの声に耳を傾けて欲しいと願っているだけである。その思いに応える市政をこそ「仁政」と言うのではないだろうか。