負けから得た教訓 | マニフェストを提案する弘前市民の会

負けから得た教訓

マニフェストを提案する弘前市民の会を作って1年、その間、候補者を公募し、市民団体間の連携を作り、候補予定者と政策協定を結び、そして今回の選挙にのぞんだ。こうした動きは弘前市長選では初めての取り組みだった。

今回の弘前市長選に対して、私たちは他の市民団体とともに、互いに批判・中傷合戦はしない、政策本位でそれぞれの政策の中身の違いを明確にするよう各候補に求め、何より市政を刷新することを目標に活動してきた。

その結果はどうだったろう。現実的に見るならば、今回の選挙は候補は確かに政策を誠実に訴えたが、結局のところ「知名度と人柄」の勝負となった感がある。相馬氏は県議6期の経験と知名度、そして金沢氏にはないソフトな人当たりの良さが多くの有権者を引き付けた。

私たちが訴えやってきたことは意味がなかったんだろうか。どうしてもそんな思いがよぎる。私たちは、たぶん、格好を気にしすぎたのだ。人にどう思われるかを気にして、どうアピールするのが効率的かという表面的なことにばかり気を配っていたのだと思う。悪く言えば、うかれていたのである。得意気になっていたのだ。

選挙を通じて、私たちは街宣車で呼びかけ、街頭でチラシをまき、各家庭をまわりチラシを配るなどした。一般的な選挙風景である。しかし、そうした選挙活動では人々に思いを伝えることはできないのだ。一人一人と顔をあわせ、ひざをつきあわせて話をする。そうしないと本当の支持は得られない。

相馬氏がやった選挙活動は、街頭に聴衆を動員するでもなく、とにかく細かく地区をまわり、話を聞いてもらうというまさにどぶ板を踏む選挙だった。選挙というものを知り尽くした相馬氏ならではの戦術であると思う。目立たないが、しかし足元のしっかりした選挙活動をした。何より早期に細かく配置した後援会事務所が大きな働きをしたと言える。何より、6期にわたり相馬氏の選挙を支えてきた後援会の結束は固く、そして活発である。そうした基礎的な組織力を私たちは持つことができなかった。

市民団体の連携と言っても、その活動範囲は会員個々の知人・友人の範囲でしかない。しかしより多くの票を獲得するには、全く知らない人々と話し、理解してもらわなくてはならない。そこが市民団体と後援会組織との気構えの違いである。

確かに相馬氏の選挙は全く目新しくはない。しかしそれが最も効果があるのは、相馬氏が6期にわたって県議選を全勝してきた実績が物語っている。これからも弘前市で選挙に挑戦しようとするなら、これは学ぶ価値のあることである。私たちは、そのような選挙を「古臭い選挙手法」として重視しなかった。

弘前市民のことを、私たちは理解しようとせず、私たちの理解できる対象者だけを弘前市民として考えてしまった。これは傲慢なことである。真摯に反省しなくてはならない。その上で、新しい選挙の形を構想する必要がある。

私たちの訴えや活動は間違ってはいなかった。しかしその伝え方に現実を踏まえた泥臭さがなさすぎた。綺麗で理想主義的で、自己満足的だった。それが悪いとは言えないが、しかしそれでは伝わらないのである。

おそらく、私たちが政策協議を申し入れたとき、相馬陣営は私たちの力などとっくに見抜いており、たいして頼りにはならないが、ないよりはましぐらいの気持ちで会見に応じ、政策協定についても結ぶ用意があると伝えたのだろう。そういう空気を私は感じた。なにくそと思ったが、それが現実だったということである。相馬陣営は選挙のことを知り尽くしている。そして私たちは何も知らなかった。

強く広くしっかりと、次の連携に向けた取り組みを私たちははじめないといけない。これまでの後援会的な組織の強さを兼ね備えるとともに、政策力を持った現実的な組織である。それを作った上に、理想や高い目標を置く。そうでなくては、新しい弘前市に市民が主役の市政は実現できない。