【知事選】合同個人演説会中止 | マニフェストを提案する弘前市民の会

【知事選】合同個人演説会中止

市長選や国政選挙などで既に定着した感のある合同個人演説会が、今回の知事選において開催できなくなった。青森県では全国でもトップレベルの開催実績を誇ってきただけに、今回の開催中止は全く残念なことである。

今回の開催中止の理由だが、公開討論あおもりフォーラムの有谷代表の記者発表によると、三村陣営から回答期限までに回答がなかったためであるとのことだ。三村知事自身は市民団体からの申し入れがあれば応じるという姿勢を示していたが、あっさりと反故にしてしまったことになる。

自民党三村選対は、青年会議所が発表した中止理由を引用し、青年会議所の側の準備不足で日程調整がつかなかったためとしているが、青年会議所は三村陣営に配慮してそうした説明をしたのであって、事実は公開討論あおもりフォーラムの有谷代表が語った通りである。

以前より自民党選対は合同個人演説会や公開討論会への参加には消極的であり、そんなものに参加するより街頭演説や支援者まわりした方がよっぽどましと考える傾向が強かった。一般市民の参加が少ないことや、コーディネーター役が自民党に厳しい指摘をするなどへの不満が根強いことがその理由である。

確かに、合同個人演説会や公開討論会への一般市民の参加が少ない場合があるとしても、その内容は報道機関を通じて広く紹介されており、青森市や八戸市での開催においてはケーブルテレビでの中継があるなど、討論会のアピール効果はけっして小さくはない。進行役が時に自民党候補に対し厳しい指摘を投げかけるのも、政権政党の看板を背負っているがゆえであり、政権政党としての責任の重さのゆえである。それを不公平だなんだというのは、自らの責任の重さを真剣に考えていないことの証左である。

なにより、討論会は有権者に対し直接じっくりと政策を語りかけることのできる唯一の機会でもある。この意義が理解できないということは、自民党・三村知事の政治姿勢には重大な欠陥があるということに他ならない。有権者に対する説明責任に背を向けるということだからである。

また、今回の討論会開催中止に関しては、共産党・堀候補の責任も重い。既に数多くの開催実績のある公開討論あおもりフォーラムや、青年会議所のコーディネートとは無関係に、新聞記者を伴っての開催要求は全く子供じみた対応だった。これは単なるパフォーマンス以外の何物でもなく、明らかに三村知事が討論会に応じないだろうことを見越しての行動である。戦術としては実に卑怯だ。

共産党は普段はいかにも市民活動に協力的で市民の側に立っているようなアピールを繰り返すが、いざ選挙になると自分達のことしか考えない傲慢さが表面に出てくる。これまで開催実績を重ねてきた市民団体を一切無視しての行動が、それを如実に示していると言えよう。

どうして政党という団体は、市民不在で選挙をやろうとするのだろうか。党利党略のみで多くの有権者の方を向いていない。民主党県連においてもそうである。しっかりとした政策を立て、三村・自民党県政への対立軸を明確にし、別の選択肢をはっきりと有権者に示すことを期待されていたにも関わらず、その期待を裏切ってしまった。

相変わらず選挙の主役は候補者とその陣営だと言わんばかりの対応に、私は辟易している。選挙の主役は候補者ではない。有権者でありこの国の主権者達である。そんなことさえ気づかない大馬鹿者に我々の大事な一票を託す気には到底なれない。公職に立候補しようというのであるから、もう少し大人の振る舞いをしたらどうだろうか。